2009年07月21日
夏ですね。
世間ではもう学生が夏休みのようです。
この季節は、花火やお祭りがたくさんあって、学生で友達がいっぱいいる人にとっては楽しくてしょうがない季節でしょうね。
大人でも、家族で花火を観にいったり、お祭りに行ったりする人たちは楽しいでしょう。
ぼくはこの季節が苦手です。
15で家を追い出されたぼくは1人暮らしをしていたのですが、友達はもちろんいませんでした。
今みたいに、インターネットもなければ、携帯電話もありません。
毎日、ただ1人で部屋に閉じこもっていました。
あの頃は、とても友達が欲しかったです。
毎日そればかりを考えていました。
夏のある日、窓の外から花火の音が聞こえてきました。
ぼくは部屋の小さなすりガラスに顔を近づけ、外をうかがいました。
すりガラスの向こうに、花火が上がっているのが見えます。
思い切って窓を開けてみました。
建物の隙間から、かろうじて花火が上がっているのがみえます。
ぼくはしばらくの間、わずかにみえる花火を眺めていました。
だんだんと、もっと近くで見たくなってきました。
部屋を出て、マンション階段の踊り場まで出てみました。
さっきよりは、少しだけ花火が見える範囲が増えました。それでもよくは見えません。
マンションの踊り場で、後ろを人が通らないかびくびくしながら花火をみていました。
ぼくがなにより恐れていたことは、「ぷっ。こいつ友達もいなくて1人でこんなところから花火をみているよ。」と思われることでした。
マンションの他の住人と交流もなかったので、不審者扱いされるのも怖かったです。
しばらく踊り場から見ていたのですが、もっともっと近くで花火をみたくなってきました。
ぼくはマンションの階段を降りて、自転車に乗りました。
行くあてはありませんが、とにかくもっと近くで花火を観たかったのです。
花火が打ち上げられている長良川と、ぼくが住んでいたところの間には、岐阜県の中心街があります。
街はすごい人でした。
みんな家族連れや、友達の集団や、カップルばかりで、1人で移動している人なんてぼく以外にはいません。
ぼくはひたすらと、花火が打ち上げられている長良川へ向かって自転車をこぎました。
だんだんと、見える花火が大きくなってきます。
長良川の堤防道路へつくと、花火は見えるのですが、人ごみでいっぱいで身動きがとれません。
浴衣で集団で移動している人々の中に、たった一人で自転車を押して立ち止まっているのです。
周りの人たちは、不思議なものをみるようにぼくを横目で見ていきます。
ぼくは・・・・・近くで花火をみれたことよりも、周囲の人たちとのギャップを実感してしまい・・・堤防道路を降りました。
花火を振り返りながら、自転車をこいで帰り出したのですが、まだ、、花火を観たいという気持ちが残っていました。
周りのビルを観ると、みんな窓や屋上から空を見上げています。
ぼくは一つの古いビルの階段を上りました。
幸いにも屋上への扉は鍵が開いていました。
そのビルの屋上には、誰もいませんでした。
ビルの屋上からは、他のビルの陰になっていて、半分くらいしかみえないのですが、花火がみえました。
最初は、突然現れた子供に、周りのビルや、民家のベランダから奇異なものを見る視線があったのですが、すぐにみんな花火に目をもどしてくれました。
ぼくは1人で、屋上から花火を観ていました。
どのくらい観ていたのか、ふと気がつくと、周りのビルや民家のベランダの人々が楽しそうに、すいかやとうもろこしを食べたいることに気がつきました。
ぼくはまたも、花火よりも自分が1人でいることのほうが気になってしまい、ビルをおりて、自転車にのりました。
行きと同じ距離のはずのマンションへの道のりは、、、とてつもなく、遠く感じられました。
ぼくは人ごみのある場所を避けながら、逃げるように全力でマンションへ向かいました・・・・・全身の脱力感。精神的疲労と孤独感。
ぼくは夏が嫌いになりました。
世間ではもう学生が夏休みのようです。
この季節は、花火やお祭りがたくさんあって、学生で友達がいっぱいいる人にとっては楽しくてしょうがない季節でしょうね。
大人でも、家族で花火を観にいったり、お祭りに行ったりする人たちは楽しいでしょう。
ぼくはこの季節が苦手です。
15で家を追い出されたぼくは1人暮らしをしていたのですが、友達はもちろんいませんでした。
今みたいに、インターネットもなければ、携帯電話もありません。
毎日、ただ1人で部屋に閉じこもっていました。
あの頃は、とても友達が欲しかったです。
毎日そればかりを考えていました。
夏のある日、窓の外から花火の音が聞こえてきました。
ぼくは部屋の小さなすりガラスに顔を近づけ、外をうかがいました。
すりガラスの向こうに、花火が上がっているのが見えます。
思い切って窓を開けてみました。
建物の隙間から、かろうじて花火が上がっているのがみえます。
ぼくはしばらくの間、わずかにみえる花火を眺めていました。
だんだんと、もっと近くで見たくなってきました。
部屋を出て、マンション階段の踊り場まで出てみました。
さっきよりは、少しだけ花火が見える範囲が増えました。それでもよくは見えません。
マンションの踊り場で、後ろを人が通らないかびくびくしながら花火をみていました。
ぼくがなにより恐れていたことは、「ぷっ。こいつ友達もいなくて1人でこんなところから花火をみているよ。」と思われることでした。
マンションの他の住人と交流もなかったので、不審者扱いされるのも怖かったです。
しばらく踊り場から見ていたのですが、もっともっと近くで花火をみたくなってきました。
ぼくはマンションの階段を降りて、自転車に乗りました。
行くあてはありませんが、とにかくもっと近くで花火を観たかったのです。
花火が打ち上げられている長良川と、ぼくが住んでいたところの間には、岐阜県の中心街があります。
街はすごい人でした。
みんな家族連れや、友達の集団や、カップルばかりで、1人で移動している人なんてぼく以外にはいません。
ぼくはひたすらと、花火が打ち上げられている長良川へ向かって自転車をこぎました。
だんだんと、見える花火が大きくなってきます。
長良川の堤防道路へつくと、花火は見えるのですが、人ごみでいっぱいで身動きがとれません。
浴衣で集団で移動している人々の中に、たった一人で自転車を押して立ち止まっているのです。
周りの人たちは、不思議なものをみるようにぼくを横目で見ていきます。
ぼくは・・・・・近くで花火をみれたことよりも、周囲の人たちとのギャップを実感してしまい・・・堤防道路を降りました。
花火を振り返りながら、自転車をこいで帰り出したのですが、まだ、、花火を観たいという気持ちが残っていました。
周りのビルを観ると、みんな窓や屋上から空を見上げています。
ぼくは一つの古いビルの階段を上りました。
幸いにも屋上への扉は鍵が開いていました。
そのビルの屋上には、誰もいませんでした。
ビルの屋上からは、他のビルの陰になっていて、半分くらいしかみえないのですが、花火がみえました。
最初は、突然現れた子供に、周りのビルや、民家のベランダから奇異なものを見る視線があったのですが、すぐにみんな花火に目をもどしてくれました。
ぼくは1人で、屋上から花火を観ていました。
どのくらい観ていたのか、ふと気がつくと、周りのビルや民家のベランダの人々が楽しそうに、すいかやとうもろこしを食べたいることに気がつきました。
ぼくはまたも、花火よりも自分が1人でいることのほうが気になってしまい、ビルをおりて、自転車にのりました。
行きと同じ距離のはずのマンションへの道のりは、、、とてつもなく、遠く感じられました。
ぼくは人ごみのある場所を避けながら、逃げるように全力でマンションへ向かいました・・・・・全身の脱力感。精神的疲労と孤独感。
ぼくは夏が嫌いになりました。